2016年御翼5月号その2

イエスの昇天を受け入れるのは魂の働き

 

 イエス様の昇天がなければ、私たちには永遠の命の約束もなくなり、死を恐れなければならなくなる。死を恐れると、生きているあいだ中、死の影におびえることになる。そして、老いへの恐れ、暗闇への恐れがある。
 人生を喜ばしい冒険としようとするときに、どうしても克服しなければならないのは、恐れと、恐れにつながる心配や不安である。「心配」を意味する英語のworryは、古アングロ・サクソン語の「締め殺す」とか「窒息させる」という語から出ている。長く心配を持ち続けると、人生を締め殺す結果になるのだ。死への恐怖の他にも、失敗への恐れ、人への恐れ(拒絶や無視)などもある。
 米国人宣教師E・スタンレー・ジョーンズは、「恐れは、人生という機械に投げ込まれた砂だ」と言った。また米国の小説家ハロルド・シャーマンは、「自分への信頼と神への信頼は、恐れを統御する鍵である」と言っている。そして、聖書には、「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」(テモテへの第二1・7)とある。
 イエス様の死と復活、昇天の奇跡は、私たちの魂が、力と愛と思慮分別を与える聖霊で満たされた時に、事実だと知ることができるのだ。心の働きである理屈や理論で理解すべきものではない。
 心とは異なり、理屈抜きで「良い・悪い」が分かるのが魂の働きである。この世には、理由(理屈)なしに、それが良いものだと分かっていることが多い。書道では、なぜ縦の線がまっすぐに書けると良いものなのか、説明できない。音楽で、なぜドミソの和音が美しく聞こえるのか、理屈は分からない。ある学生が「尊敬するって、何だろう」と、理屈で考えようとしていた。神や人を尊敬すること、芸術の世界で良いものだと判断する、これらは魂の働きであり、理屈で分かろうとしてはならない。
 魂の働きは、(1)愛すること、(2)思いつくこと、(3)ひらめくこと、(4)夢をみること、(5)良心の働きをすることである。神の霊が愛であり、私たちに良い思いや行動を起こさせるものだと、霊的に受け止めよう。それにより、恐れ、困難、敵、痛み、死をも克服する力が与えられると知ることは、喜びの人生に不可欠である。

 マザー・テレサは、『神への献げ物』という本の中で、喜びは、日常生活のありふれた事柄のなかで、神の意志を実行しようとするところに生まれる、と言っている。
 私たちはみな、神と共に天に住むことを願います。けれども、天国は、私たちの近くにあります。いまここで、天にいるように、神と共に住むことができるのです。この瞬間に、神と共にある幸福を味わうことができるのです。いま神と共に幸福であるとは、つぎのようなときです。
 神が愛してくださるように、愛しているとき。
 神が助けてくださるように、助けているとき。
 神が与えてくださるように、与えているとき。
 神が仕えてくださるように、仕えているとき。
 神が救ってくださるように、救っているとき。
 一日二十四時間のすべてを、神と共に在るとき。
 困窮している人の姿をとって、そのなかに身を隠している神に触れるとき。
 イエス様の昇天により、私たちは神の愛と力を知り、恐れを取り除いていただける。あらゆる恐れから解放され、愛し、与え、助け、仕えるならば、喜びが深まり、人生は素晴らしいものになる。人生の意味と目標が、大きく豊かなものとなる。生きていることを喜べるようになる。
 N・V・ピール『積極的考え方の人生』(ダイヤモンド社)より

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